2008年2月10日 (日)

可動ギャルフィギュアについて

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●MMS・スカイガールズ
音羽だけ買ってみた。

・画像1・2は模型裏に上げたもの。早売りレビューの写真でも感じてたことだけれど、実物は顔がツヤッツヤで鼻周りや目にヘンな陰影があって表情 が崩れていたのでつや消し吹いたらイイ感じになった。造形やアイプリは決して悪くない。オリジナル神姫にはあまり興味湧かなかったけど、やはりいままでは 顔がネックだったからだなと感じた。音羽はフミカネ絵にもアニメにも、お世辞にも似てるとはいえないが、さすがにキャライメージが固まってる場合あまりテ キトーなことも出来なかったのではないか。ヨーコも悪くなさそうだったし、やはり版権キャラの方が顔の出来への訴求は高そう。

初見の印象どおり衣装デザイン的にMMSとは相性がいい。総じてまあ満足。あとは値段か。ヨドのポイントでまかなえたから気にしなかったけど、考えてみると高いよな。付属品も少ないし。

●去年の終わりから可動ギャルフィグが活発に動き出し、今年に入って本命リボフロ、対抗フィグマがスタートして百花繚乱の感がある。ぼくもずいぶ ん興味を惹かれて色々揃えてみたけれど、やはり動いてポーズ取れると愛着が違う。実に嫁感が強い。遊んでると、自分で萌え絵とか描いてるのに近い感覚が湧 く。

むろん可動を含めた女体の完全再現などは人類最大の悲願であり、低価格の玩具でおいそれと実現できることではない。触ってみてわかったのだけれ ど、今の潮流も、現実の人体機構に近づけるというよりは何と言うか抽象的な関節の切り方をしている。カパッと隙間が開いたりしてとてもリアルとはいえない けれど、動かしてると時々ふとすごく魅力的な女体のラインが『見える』事がある(※1)。認識の飛躍、見立ての世界であり、深いコンセンサスが求められ る。実にオタク的だ。

その点では触ってみた各ブランドとも、それぞれの方向で頑張っていると感じた(※2)。フィグマは持ってないけれど、その評価はリボフロよりも高 い。今のところ欲しいキャラがないので、なのはさんまで買う予定はないけれど、間違えて長門とか買ってしまうかもしれない。とにかくこのジャンルは消費者 に強く求められており、作り手のモチベーションも高く、さらにまだまだ突き詰められていない可能性が無限に広がっている、今いちばん熱い分野だと言えるの ではないだろうか。

個人的に、現時点でいちばん評価できるのはやはりリボ波さんだ。女の子らしいポーズがぴしぴしと決まり、たたずまいが美しい。特に肩の機構は優秀で、細かな表情付けには目を見張るものがある。
模型裏では顔の出来、肩のポロリ、可動範囲の狭さとキャラ選定が批判されていたけれど、派手な可動よりラインの美しさを見せるためのチューニング と、それが生きる裸に近いプラグスーツのキャラと言うチョイスは成功していると思う。手足の大きいプロポーションはFFT厨のばくにはむしろご褒美だし。
リボフロ発表前にぼくが夢想してたのは、バンダイがガンプラで培った超絶関節技術をつぎ込んで綾波アスカの可動「プラモ」を出してくれないかな というものだった。インジェクションキットなら入手も加工もしやすいし、このキャラなら売れないってこともなかろう。安くて質のいい素体を欲しい人も多い と思う。もう正直完成品フィギュアの塗装の質の悪さにはうんざりしているのだ。それが価格に響いていると思えばなおさらだ。塗装いらずのガンプラを実現し たバンダイ(の、いい部署)なら、一ジャンルを築けるものが出来ると思うけれど(※3)。
昔はフィギュアのインジェクションキットって結構あったように思うけれど。可動に限らず、復活して欲しいと思う。

対して関節は全然ダメだけど、アイテムとしてうれしいのは姫様。
見てると思わずにやけてしまうほど立体としての魅力が高い。美人だし、とっぴなデザインをきちんと造形している。キャラ的にポーズをつけていて楽しい。
関節機構自体は悪くないのだが、間接パーツが保持力以外にいいところがなくて、まともに自立させるのも難しい。そして一発で破損。本来商品説明が 書かれるパッケージ裏が破損に対する注意書きで埋まっていて、ああこのジャンルを単品で商品にするのは難しいのだなと改めて感じた。
でも好き。せっかく手に入れたのだから、リペしたりカスタマイズして長く楽しみたい。

グラ様の遊びにくさの多くはPVCムクの本体重量とデザイン上の末節重量、そして重心の高さにあるようだ。とにかく大きくて重い。魅力の一つだけ ど。そのあとで久々にMMS素体を触ると動かしやすさに驚く。ABSの軽さと剛性に加え、細身の手足もポーズの付けやすさに役立っているようだ。独特のプ ロポーションはあまり好きではなかったけれど、動かしてみるとちゃんと理由があるのがわかる。遊びやすさは突出している。神姫好きの人の気持ちもわかろう というものだ。

神姫と言えば体育座りとケツの大穴。これは逆に果断として評価できる部分だけれど、やっぱり女の子の身体のラインで最も魅力的な部分だけに捨てて おくことは出来ない問題だと思う。これに関しては各社かなり頑張っていて、特にリボ波さんのケツにはドキドキするけれど、まだまだ改良の余地はありそう。 このブームでケツと股間の構造の画期的な解釈が生まれることを期待しています(※4)。






※1:Q-JOYでは見えなかった。
※2:Q-JOYは頑張っていない。
※3:代わりにバンダイが出してきたのはQ-JOYだった。
※4:Q-JOYには期待していない。 

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2008年1月27日 (日)

善女のパンについて

今日は少しマジメな話を。いや、ぼくはいつもマジメですけど。
…そうだっけ?ネット上で真面目だったことなんて一瞬たりともなかった気もする。まあどっちでもいいや。本人的にもきちんと結論を出してるわけではないし、面白おかしい話でもないので、ウザいのが嫌な人はここで読むのをやめるように。

●O・ヘンリという作家は小説家としてもかなり特殊な存在で、文庫で言うと数ページから十数ページの短々篇しか残していない。
作品のスタイルは決まっていて、ほとんどの短編が書かれた当時、1900年代初頭のニュヨークを舞台にしており、そこに住む人々の悲哀と小さな喜 びをユーモアと皮肉たっぷりに描いている。有名なのはその起承転結の見事さだ。どの作品にも必ず「アッというような転換」が用意されていて、ラストの鮮烈 な読後感を助けている。その切れ味は『全ての作家が手本とするべき』とまで言われている。

あれこれ言うよりは、あの「最後の一葉」の作者であると書くのがてっとり早いかもしれない。
文庫の解説やwikiを読むと、本人もなかなか面白そうな経歴を歩んでいる。

×××

昨年末から、新潮文庫版の短編集を買ってきて読んでいる。現在第三集。
ごく薄い文庫に何十という掌編がぎっちり詰まっている。訳文の古めかしさに少々足を取られるが、気楽に楽しく読み進められる。作品は本当に短い。出勤前に、トーストをかじりながら新聞で一篇を読むと丁度いい感じだ。実際にその多くが新聞小説だったようだけど。
スタイルが飲み込めてからはわりと意地悪く読んでいたつもりだけれど、七割ぐらいの作品で先に書いたような『アッというような転換』と、それに続 く鮮烈な読後感を味わうことが出来た。オチをある程度読めたのが二割、いまいちピンと来ないものは一割以下という感じ。百年も前の小説で、これはすごいア ベレージだと思う。この百年でありとあらゆるストーリーテリングの手法は出尽くしたと思うけれど。
本来は、つまり百年前の読者に向けて「現在」を描いたものである。でも、全く違う風俗や価値観がかえって面白い。

もちろん手法は主題のために存在するのであって、この作者もはっきりとした目的意識を持ってテクニックを振るっている。
作品集のうち半分以上は、冷静に考えると『お伽話じゃあるまいし、いくら何でもそんな都合のいい話があるかい』という感じの絵に描いたようなハッ ピーエンドで終わるのだけど、そのちいさな奇跡を一時でも読者に信じさせるために全ての力が傾注されている。極端な短さも、鮮やかなどんでん返しも辛辣な 読者にわれに返る隙を与えないためのテクニックだと思う。
達人が名刀を振るっているようだ。あまりの抜き手の早さに斬られたことすら気付かないという感じ。

ハッピーエンドでないものの多くはどちらともいえない、何も残らない、皮肉だけどからっとした終わり方をしていて、そのほかに時々身を切られるような(でも、やはりからっとした)アンハッピーエンドが混じっている。

×××

何でこんな、今時周りじゃ誰も読んでないようなものを読んでるのかというと、子供の頃に読んで長年引っかかっていた一篇が含まれてるからです。た しか小学校か中学校の、国語の教科書ではなかったかと思います。作者も題名も覚えてなかったけど、いろんな機会に折に触れ思い出すのでもう一度読んでみた くなり、何とか検索して見つけました。
前述の「アンハッピーエンド」のなかでも極めつけのやつです。

~善女のパン~  原題 : "Witches' Loaves"
青空文庫版を見つけました。有名な話なので知ってる人も多いと思うけれど、十分ぐらいで読めると思うので、ここまで読んだ人は出来たら読んでみてください。ぼくの文章よりよほど短いと思う。
※題は「魔女のパン」と訳されていて、無論こちらのほうが正解なのだけれど、タイトルとしての含蓄はこちらが上に感じたので文庫で読んだ訳を採りました。
http://cosmoshouse.com/works/loaves/loaves.htm

@@@@@

読みました?ひどいバッドエンディングですよね。何でこんなものわざわざ小説にするんだろう。でも、ぼくの人生観はこの短編から読み取れたことに割と左右されているような気がする。
言葉にすると、こういうことになります。

”はっきりとした悪意、例えば嘘や裏切りや憎しみよりも、
無知や無関心や想像力の欠如や思い込みやうっかりミスや朝寝坊やど忘れのほうが人を深く傷つける。
でも、本当に取り返しがつかないほど強く人を損なってしまうのは、
愛情や、優しさや、勇気や、約束や、至誠なのではないか”


※検索すると、訳ごとにタイトルが全部違っているようです。

オーヘンリー/Witches' Loaves
 善女のパン   (新潮文庫)
 古パン     (岩波文庫)
 魔女たちのパン (旺文社)
 善魔女のパン  (講談社文庫)
 パンのあだしごと(角川文庫)
 いじわるなパン (フォア文庫)
 パンのむだ仕事 (明治図書)

訳者も迷ったのかもしれない。確かに直訳すると内容にそぐわないタイトルだけれど、英語の”Witches' Loaves”には慣用句的な別の意味があるとかじゃないかな。

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2007年7月 4日 (水)

アニメ「老人と海」

■へー、油絵の具…ガラス板に指でねえ…
そうか、こうすれば一人でアニメ作れるんだ。なーんだ、簡単。


できっか―――――――!!!!
アホ―――――――――――――――――!!!!!!!


まあその神業っぷりは見てもらえば解るとして、ここではその映画としての完成度の高さをまず評価したい。カメラワークがハリウッド映画的で、悪く 言えば非芸術的で凡庸、良く言えば娯楽作品として非常に明晰にイメージを伝える力を持っている。多くのパーソナルアニメがゲージュツというちんけな枠に安 住したがるのと比べて、この作品はきちんと観客と目を合わせて作られている。

もう一つは個人製作であるということ。一人で作っちゃいました!いいねえ~~っ!ぼくはそういう『まるで劇画』っていうような根性を持ってるヤツにグッとくるんだ!

例えばもちろん「ほしのこえ」とか…
kogoroさんのスコープドッグとか…
デスペラードの元になった「エル・マリアッチ」をバイト収入で作っちゃったロバート・ロドリゲスとか…

ぼくは、表現というものは結局のところ個人に収斂するという考え方をする人間であり、だからこういうのに感動するわけです。

まあみんなそうだろうと思うけれど。ネットで神と言われてる作品を見ると、やはりローテクとか少人数とか若年とか不利な条件下で作られたものに賞賛が送られることが多い。

ただこの考えにはけっこうな疑問が付きまとう。本当に好きな作品というのは上記の中ではなく、いつも既存の商業媒体の上で見つかるからだ。
たとえば「ほしのこえ」なんかは短編小説のような個人的な切り口が新鮮で、一人で作ったという意義がちゃんとあることに感心したものだけれど、好きかって言われると、うーん…
それに上記の作品からフォロワーが全く出てこない所を見ても、作り方としては間違っているんだろうなあ。

■「老人と海」について。
あまりにも有名なヘミングウェイの短い小説。
子供の頃、本好きだったぼくに、今は亡くなったある人が読ませてくれた。そういう意味では思い出の本だ。
感想を聞かれて、『最後、おじいちゃんがかわいそうだった』と答えて苦笑させた覚えがある。まあ小学生じゃ無理もないだろうと思う。

今映像で見ると、ぼくの大好きな映画、「ジョーズ」がすごくよく似ているのが解る。多分基にしたんだろう。世間的には『デーデン、デーデン』の テーマソングしか記憶に残ってないようだけど、あれは実はすごくいい映画だった。どちらも実にアメリカ的だと感じる。『結局なあんにも残りませんでした。 巨大なものに立ち向かって、やり遂げて、生還したという事実以外は』というあの感じ。

一言でチャレンジングスピリットというと胡散臭く感じるけれど、アメリカの一番いいところが素直に出ているものを見ていると単純にいいなあと思います。

「バックドラフト」のラストで、兄の死を乗り越えて消防車に揺られながら、どこかを見つめて静かに微笑んでいるブライアンとか…

「ライトスタッフ」のラストで、最新鋭機で勝手に出撃して
(事実とは違うらしい)
思いっクソ墜落しておシャカにしときながら、スッゲーいい顔で帰還してくるチャック・イェーガーとか…

ああ、あの突っ込み所満載の国のことが、ぼくは実は大好きなのかもしれないです。まあ「インディペンデンス・デイ」に共感しているぐらいだから、いまさら実感することでもないのかもしれないけれど。

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2007年6月15日 (金)

うろ覚えの効用

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~鯱~

1:シャチ、サカマタ。海凄哺乳類の一種。

2:伊勢湾に出没するという伝説上の怪魚。



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●その昔、「魔女の宅急便」のビデオを買ってきてみていると、巻末に宮崎駿×糸井重里の対談が収録されていた。その中で、ハヤオさんはこんなことを言っていた。
『ぼくはねえ、(映画を)ビデオで何度も何度も繰り返して観るような観かたは好きじゃないんですよ』

●もうガックリである。見終わってからそんな事言われたって困る。ビデオソフトだって安いもんじゃないんだし、いくらなんでも客に聞かせていい事といけない事の区別ぐらいはするべきだろう。大人げないことこの上ない。このオッサンは一体いつになったら大人になるのだ?

●と、思ったけれども、当時雑誌のインタビュー等を割と熱心に読んでいたので発言の意図そのものはある程度汲むことができる。
『映画を、何度も繰り返して観るべきではない』
なぜか?

・一つにはいわゆる一期一会の精神が挙げられるのではないか。
確かに、ビデオのないときは映画を何度も観ることは実際問題厳しかった。その分真剣に観ていた気がする。
集中するしないで映画の面白さというのは変わってくるし、高い金を払って映画館で観るのと、部屋で寝転びながらビデオで見るのとでは吸収度が違うような気もする。

・本筋を見ろ、という意図もあるのかもしれない。何度も観ることによって浮かび上がってくる細部、細部はあくまでも細部でしかなく、それを追っかけていってもどこにも辿り着かないのかもしれない。全体がぼやけてしまうだけなのかもしれない。

・もう一つ、作品が受け手の記憶の中で変化してゆくという現象がある。いわゆる思い出補正というヤツだ。心のスクリーンに映る映像ほど美しいものはない。何度も観ることによって得られる正確さよりも、その美しさを大事にするべきだということかもしれない。
場合によっては、それが更に新しいものを生み出すことがある。有名な話だけれど、ラピュタやルパンに出てくるロボット・ラムダは、ハヤオさんが若い頃見たスーパーマンのアニメ、そこに出てくる強盗ロボットからのインスパイアによって生まれたものらしい。
ぼくもその映像を見たけれど、確かにその面影はあった。言われてみるとよく分かる。分かるけれど、それがどうしてあそこまであんなになっちゃったのかは全然想像できない。
おそらくハヤオさんはひとの百倍ぐらい強いその視線でもって映像を強く胸に焼付け、それを時間をかけて発酵変化させ、いろんなものと混ぜたりして 新しいものを作り出したのだろう。ちょうど木のウロに果実をため込んで作られたサル酒のように。果実の香りが残っていても、それはもう酒という新しい意味 を持っているのだ。はっきりとは覚えてないけど、そういうことが一番大事だといってたような記憶がある。

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ぼくは何にも知らないから、絵を描くときにはなるべく資料を当たる旨心がけているけれど、そういう描き方をつまんないなって思うこともあります。 「美味しんぼ」に出てきたすっぽんの味の染み出してくる土鍋みたいに、自分の中から湧き出してくるものだけで何かを形作ることができたらどれほど楽しいだ ろうって思う。
もちろんそれは血反吐を吐くほど修行を積んだ上に天分が必要なことで、ぼくなんかが気安く望めることなんかじゃないのだけれど、ちょっとあこがれてマネしてみるくらいはいいんじゃないのよ。

今回はなるべく何も見ないでえとぶんをかきました。引用した全ての要素とその出典はタダでさえ信用ならないぼくの記憶に全てを拠っています。多分間違いなくどこかがどうにか間違っていると思う。

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確か高校の頃、国語辞典を読んでいて鯱の記述に出くわしました。男のロマンを感じて、そのときも同じような絵を描いたような気がする。なんとなくそのことを思い出したので描いてみました。

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2007年6月 7日 (木)

ブログ始めました

S 立ち上げてはみたものの、何を始めるか全然考えていません。ゆっくりじっくり考えてゆきます。

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